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日々の泡沫

生涯


生涯


若いころはどうにかして黄色の菊の大輪を夜空に
打揚げんものと、寢食を忘れたものです。漆黒の
闇の中に一瞬ぱあつと明るく開いて消える黄菊の
幻影を、幾度夢に見て床のうえに飛び起きたことで
せう。しかし、結局、花火で黄いろい色は出せま
せんでしたよ。
----老花火師は火藥で荒れた手を膝の上において、
痣のある顔を俯向けて、かう言葉少なく語つた。
黄菊の大輪を夜空に咲かすことはできなかつたが、
その頃、その人は「早打ち」にかけては無双の花
火師だった。一分間に六十發、白熱した鐵方を底
に横たへた筒の中に、次々に火藥の玉を投げ込む
手練の技術はまさに神業といはれてゐた。そして
いつも、頭上はるか高く己が打揚げる幾百の火箭
の祝祭に深く背を向け、觀衆のどよめきから遠く、
煙硝のけむりの中に、獨身で過ごした六十年の痩軀
を執拗にしずめつづけてゐた。


                         -詩集「北國」 井上靖-



本棚にひそり眠っていた
紐解くと
また今まで触れてきたのとは違う詩のかたち

詩というものにはかたちはなくて
自分がそれを詩と感じるかどうか
でいいんだな
たぶん

他にも琴線に触れてくる詩は幾つかあったけれど
なんだかこの花火師を抱き締めたくなって
これに

あとがきで作者が語る
詩の受け止め方、詩との対し方
に甚く共感し
うん
やっぱりそれでいいんだな
そう在るべきだよな

なんだか肯定されたようで嬉しかった
by hibinoutakata | 2007-09-15 13:07 | 詩撰集